2016年1月30日土曜日

ご近所さんのベビーカーがなくなった

こんばんは。最近は卒研ばかりで寝ても覚めても卒研です。
あと先に書くと、今回はタイトル詐欺です。

今日も土曜ながら大学に行くとき、ご近所さんのところの貼り紙が目に入りました。


『ベビーカーを返してください。困っています。返してくれれば大事にはしません。人から盗んだ物にお子さんを乗せて良心が痛みませんか?』


びっくりです。
ここで私の住んでいるところについて簡単に説明します。
よくある団地(集合住宅)ですが、1つの階段入り口(というのかな)ごとに、1~5階それぞれ2部屋ずつ設計されている仕様です。
エレベーターはないので、4階にある我が家は必ず1~3階の人の家の前を通る形で階段を昇降することになります。
ですから、そのご近所さん(2階)の貼り紙もすぐに目に入るんですね。

確かに、いつも定位置にあったベビーカーがないなあとは思っていましたが、そのベビーカーはおとといから2階から3階の階段途中にずっと置いてありました
おとといに大型家具を搬入する途中のトラックを見たので、たぶんその中途半端な場所に移動させられたのだろうなあとは思っていたのですが、どうやら肝心のご家庭に連絡がいっていなかった様子……。
(まあ2階にお住まいだと滅多な用では上の階にわざわざ昇ることもないため、気づかなかったんでしょう。)

ここですぐさま2階の人宅にピンポンして『あのー……おたくのベビーカーは階段途中にあります……』と伝えようと思ったのですが、私も口が下手なのと、昨今は親切も疑われる世の中なので、『あんたがそこに移動させたんじゃないの!?』などと言われて大学に遅刻するのも鬱ですし、今後の我が家におけるご近所付き合いも面倒なことになりそうだと考えたのです。

しかしながら、ずっとベビーカーがないと誤解させるのもいたたまれない話なので、とりあえず一時帰宅して母に伝えることにしました。


私「あのー 、なんか2階の人がベビーカーないって張り紙してるんですが。」
母「ああ、階段途中にあるよね。返しておけば?」
私「それが、 『盗んだものにこどもを乗せないでください』といった誤解が含まれている書き方になっているので、そっと戻すわけにもいかなさそうなのです。」
母「あらら、そうなの。おとといからずっと置いてあったけど、逆に盗難防止に上に置いていたのかと思ってたよ。」
私「うーん、おとといに家具を運ぶトラックが家の前に停まっていたので、たぶん一時移動させたんでしょうかね。」
母「あのとき、階段全体もびしょびしょに濡れていたから、濡れないように移動させたのかもねえ。なるほどねえ。」


そう言うやいなや、母は部屋着のままで出て行ったので、私もとりあえず追いかけることに。
ためらわず2階の人宅をピンポンする母。どうするのと焦る私。


母「こんにちはー!ベビーカーだけど、ずっと上の階段に置いてあるわよ!w」
2階の人「えっ……えっ、えっ!?(一緒に上がる)あっ…!!」
母「たぶんねー、うちの娘が言うに家具を入れていた家があったみたいでwww だから一時のけちゃったんだと思うのwww ね?」
私「(とりあえずうなずく)」
母「私も『どうしてここにあるのかなー。盗難防止で上に置いているのかなー』と思っててすぐに言えなくって、ごめんねーwww」
2階「そうだったんですかー…よかったー……。」


そんな感じの会話だったんですが、母のサバサバした物言いのおかげで2階の人に誤解や不安を与えることなく事実を伝えられ、あーよかったよかったと私も一安心しました。

まあ結局のところベビーカーはなくなっていなかったという話なんですが、、、ちょっと個人的に書き留めておきたいことがその後に起きたのです。


和やかに2階の人と会話が弾む母を見て、「(しかし子の私が口ベタで行動力も弱いのに、どうして母はこんなにうまく安心感に持っていける行動と話し方ができるんだろうなあ)」と思っていたところに、2階さんのお嬢さんたちが玄関まで飛び出てきました。我々の声を聞いて気になったのでしょう。


お嬢さん1(たしか5歳)「ママーっ、ママーっ!!!」
2階さん「あっ、いま大掃除してて笑」
母「あらあら、はいこんにちは笑」
お嬢さん2(たしか1歳)「ママーママーママーママー!!!!」
2階さん「あはは…」
母「はいはいはいはい、見ないうちにたくさん喋れるようになったのねえ笑」
お嬢さん1「こんにちはっ!」
お嬢さん2「ママーっ!!!!」


そのときお嬢さんたちに向ける母の表情が、それはそれは母性愛に満ちたといいますか、まさしく「母の表情」で、実子の私としては何やらこみ上げるものがきました。


それだけなんですがね。
ただベビーカーについて誤解を解くため、颯爽と母がためらいもなく伝えに行ったのも、そういうことなのかなあとぼんやり思いました。
普段はアグレッシブな母で、正直私も話すのに未だにビクビクするところがあるんですが、「この人は、兄と私を育てたおかあさんなんだ」と改めて実感しました。

母の偉大さと慈愛の底なしぶりを見て、感激を伝える代わりに帰りにシュークリーム買っておいたので、明日あたりに食べてくれるはずかなあと。


そんなこんなで親自慢を締めて、卒研作業に戻ります。

2016年1月3日日曜日

正月も終わり

明日から大学です。
特に講義が始まるわけではありませんが、明日から進捗との激しい闘いがまた始まります。

エンディングまで泣かないぞ。


ここでさらっと一週間を振り返ります。なにぶん手帳をまだ買ってないのが辛い。

12月27日(日)進捗を出した。WEOの定期演奏会に行った。
12月28日(月)進捗を出した。とある予定に遅刻した。申し訳ない。
12月29日(火)渋谷に行った。おいしいお寿司とお酒をいただいた。
12月30日(水)中学時代の友人と遊んだ。おいしいごはんを食べた。
12月31日(木)部屋の掃除をした。結構綺麗になった。紅白とのだめを観た。
1月1日(金)研究室に行くついでに初詣しようとしたら混んでて断念した。
       守衛さんとたくさん話した。「明日もまた来てね」と期待された。
       帰りに手芸屋でボタンを買ったがサイズを間違えた。
1月2日(土)進捗を出した。ようやく初詣ができた。おみくじを引いたら大吉だった。
       手芸屋でようやく欲しいサイズのボタンを購入した。
1月3日(日)吉祥寺に行った。
       親から頼まれた調理器具を買ったつもりだったが、間違えた。

こうして書くとドラマ性も何もない一週間ですね。これがいいんでしょう。

2016年1月2日土曜日

絵画の話・1

こんばんは。
年始からいいペースでブログが更新できているので、このペースを崩さないように何か書こうと思い至り、絵画の話でもしようと思います。
絵画の話と言っても描く方ではなく、絵画紹介とその周辺の話をシンプルにわかりやすく書けたらなあと思います。

 ___

 私は美術展に行くと、気に入った絵画のポストカードを1〜4枚は購入する習慣があります。だいたい一枚150円ほどから販売されており、眺めて良し、送っても良しなので気楽な思い出の一つとして重宝しております。

 夏休みには国立新美術館にマグリット展に行った際、そのとき同建物内でルーヴル展も開催されていました。展示自体は長蛇の列だったので諦めましたが、お土産コーナーだけ覗いた際に購入したポストカードとミニポスターを、年末大掃除のときに発見しました。

こちらです。↓(ポストカード)
 
  表情はあどけない少女のそれなのに、乳房が出ていてなんかエロス!
    顔つきは未成熟の少女の顔立ちですが、身体の部分は少女から大人の女性へと変貌していく様を、非常に滑らかなラインで描いており、彼女が纏う衣服の皺もより一層柔らかい印象を与えています。また少女は全体的に淡い色で描かれているのに対して、背景は非常にどんよりした暗い色を用いることで、少女の身体における幼さと成熟した部分が同時に存在する矛盾と、暗い世界にこのような光り輝く少女が存在する世界という2つの矛盾を巧みに描き出していて非常に素晴らしい作品だと思います!

  お土産コーナーにて単純な一目惚れで購入した(※1)ために、あまりこの作者については意識していないことに今更気づいたので、調べたことをまとめます。

   作者:ジャン=バティスト・グルーズ
   タイトル:割れた水瓶
   1771年 油彩/カンヴァス,ルーヴル美術館所蔵

 ポストカードの裏にはこのようにありましたが、wikiで調べるとちょっとタイトルが違う(※2)んですね。wikiでは『こわれた瓶』となっています。

 ジャン=バティスト・グルーズはロココから新古典主義駆け出しの時代に分類されるフランスの画家ということで良さそうです。(※3)
 当時は本人が望まない方向の風俗画で人気だったようですが、晩年以降は新古典主義の流れに乗れなかったため、埋没していった画家だったんですね。
 美について哲学をしたフランスの哲学者・ディドロは『感傷的ではあるものの、道徳的な教訓が強い』グルーズの作品に対して、好意的な批評を残しているそうです。(※4)
 ジャン=バティスト・グルーズの代表作は『村の花嫁』だそうですが、なるほど、ストーリー性が高くて一つのドラマを感じさせられます。画面右側にいる、花嫁の姉の嫉妬心丸出し表情なんて見事に花嫁を的確に睨んでいていい感じです。

 ちなみにロココとか新古典主義とは、簡単に言うと絵画の時代またはスタイルを指す名前です。(このへんは正直語弊がありそうなんですが、海外絵画サイトを見るとstyleになっていて、日本語版wikiを眺めると時代区分での名前になっているんですよね……。現代でも19世紀後半に区分される"印象派"を名乗る画家はいるので、styleの方が正解のような気がしますが、ちょっとお茶を濁しておきます。)
 もう一つ解説しますと、ロココ芸術とは17世紀のバロック芸術に次ぐ新たな時代区分のスタイルです。バロック芸術が豪壮・華麗なものに対して、ロココ芸術は優美・繊細なものが多いというざっくりした境界があるそうですね。(※4)

  機会があればぜひご覧ください。といったところで今日の日記を締めます。


※1: どこに惚れたんでしょう。
※2:wikipedia, ジャン=バティスト・グルーズの欄参照
※3:salvastyle, ジャン=バティスト・グルーズの欄参照
※4:wikipedia, ロココの欄参照

2016年1月1日金曜日

2015年をサラッと振り返る

もう2015年も終わりますね。(※1)
備忘録程度にサラッとひと月ごとに振り返りたいと思います。

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1月.
  お正月からCCさくら原画展にソラマチまで行ったのが印象深いです。美しかった。
  勉強面は最後の専門実験・メディア分析実験が大変でした。
  ペア実験だったものの、ペアが音信不通になり一人でやることになったのですが、そのぶん自分でたくさん勉強したことが結果として自分の中で深い知識となり、今の研究にも活かせていると思います。ペアにはある意味感謝しています。
  あとこの頃から色々な人との出会いの広がりに恵まれたかなと思います。

2月.
   テストが大変だった記憶しかない……。
   あと高校時代の恩師の授業を観るために都心の高校まで行ってきたのですが、いい意味でも(私にとっては)悪い意味でも変わらない恩師の姿を観て、このときから「自分は同じことを10年,20年と続けられるだろうか」と自問するようになったと思います。  

3月.
   のんびりできるかなあと思いきや、研究室顔合わせやら学食テレビを始めるための打ち合わせやらなんやらで、結局月の半分以上は学校に行っていました。今までになくプライベートが削れたなあと思いましたが、今思えばむしろ序の口でしたね……。
   そんな忙しい合間に高校時代の友人たちとディズニーランドに行けたことは最高に嬉しかったです。初めてOnce upon a timeも観られ、その美しさに非常に感激したことをよく覚えています。

4月.
  大変でした。しゅーかつやら学食テレビやら最後の必修授業やら研究室ゼミやらが始まりまして、一気に様々なことをやりました。しかしながらどれもバランスよくやれていた時期だと思います。
  
5月.
   教育実習が始まったことが一番大きかったですね。そのための準備も結構苦労したので……。
  私は母校の高校に行ったのですが、自分の通っていた高校はもうないのだなあーと改めて卒業以降の年月の流れを思いました。自分を教えていた先生はほとんどいなかったですし。
  そんな中で念願の鳥獣戯画を観に上野に行けたのは精神的によかったです。結局前期後期どちらも行けたのはスケジュール的によくやりくりできたと思います。

6月.
   教育実習は他の実習生の人たちと、お互いに支え合いながら非常に充実した気持ちと態度で無事に終わりました。研究授業では、自分が在籍していた頃の元校長先生にもお越しいただけ、最終日には担当クラスの子たちから可愛らしい色紙もいただき、よくやりきったと思います。もちろん自分一人の力ではなく、指導教諭を始めとしたいろいろな人に支えられた結果に得た充実感だと思います。
  しかし余韻に浸る間もなく、ゼミの輪講当番と中間テスト期間が始まり、院進学を反対されて相当にキツかったのもこの頃です。

7月.
   ゼミが相当にキツくて……日記もこの頃真っ白なんですよね。
  あとぼかしますが6Dでは先輩たちから話を聞かなかった方がよかった気もしています。あれからTL荒らしと学食テレビへのモチベダウンに更に輪にかけた気もします。その節は関係ない人たちには申し訳ありませんでした。

8月.
  6Dの話以降で色々キツかった気がします。
   サラっと流しますが、技術と人間性を両立できる人はいないんだな〜といったことについて考え込んでしまった時期でした。あとハムフェアで来場者名簿を観た瞬間に何かが私の中でキレたなと。ありゃないよなと後輩にめちゃくちゃ愚痴りました、すみません。
   でも4D2Uに行ったり友人たちと食事をする機会がこのあたりから増えまして、(嫌なこともありましたが)すごく楽しかったです。

9月.
  ゼミがキツくて……(n回目) 他にも色々ありましたからねえ……。
  中間発表前は2kg増えました。
  あと182chの取材のときは友人樣方、本当にありがとうございましたm(__)m

10月.
  中間発表のおかげで研究到達までの道筋が見えたこと、後期から授業がなくなったことはよかったのですが、6Dで聞いた話がずっと引っかかり、それを背景に学食テレビへのモチベが完全に消えかけたのが大変申し訳なかったなと思います。
  趣味としてはモネ展に行くか行くまいか悩んだんですが、やはり行けてよかったなと。美しいものを眺めて精神的に(ある意味無理やりでも)余裕を持って振る舞うというのも大事だなと思いました。
  そして友人と後輩たちとで開いたドイツモンエナ会が楽しかったです、またやってください。

11月.
  一番の思い出はKHプレミアムシアターに行けたことですね!!!!!超最高でした!!!!
  新作映像やKHの音楽の世界に浸れたことももちろんですが、新たにKHの友達ができてKHという世界を一緒に楽しみに待つことができる人と知り合えたのは、本当に素晴らしい経験でした。本当にありがとうございました。
  調布祭も非常に楽しんで過ごせました。皆さん本当にお疲れさまでした。
  あとスケジュールギリギリの中、六本木にMMAの人たちとイルミネーションに、友人とTDLに行けたのがすごく楽しかったです。また年度切り替え前に何かできたらいいな。

12月.
  卒研が結構キツいスケジュールになっていて、年末ギリギリまでしっちゃかめっちゃかでした、というかこんなブログを打っている暇もない気がします。はは。

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本当はもっと色々あり、それぞれに思うことも当然ありますし、他にもっと発信した方がよさそうなことがあるとは思いつつも、サラッといくという趣旨でこうなりました。(それらについては別の機会に必要に応じて発信できたらいいと思います。)

しかしこうして振り返ると、たくさんの人の縁に恵まれた年であったと思います。
その分、非常に迷惑をかけたことも(私が自覚している以上に)多々あり、それでもよく付き合ってもらえていると思うと低頭と感謝しかないです、はい。

そういった反省も踏まえた2016年の目標諸々はまた別日記に書くとしますが、2015年も本当に皆さんにはお世話になりました。
皆さんの新年がよいものになるよう、僭越ながらお祈り申し上げます。というところで今回の日記も締めたいと思います。


※1:書いているうちにあけました。おめでとうございます。新年も宜しくお願いします。